『ブラックホーク・ダウン』

 いまや戦場の物語を、爽快な娯楽活劇として描いたり、楽しんだりすることはしにくい風潮になっているし、ましてそれが実際の事件に基づいているのであればなおさらのこと。

 『ブラックホーク・ダウン』もまた、そういった実際の戦争を題材にした作品。ファンというか「信者」が多くいる作品だとは思っていたけど、今回観てそのへんも得心した次第。

 基本的には、脱出/救出劇で、「どうやってこの窮地から助かるのか」と固唾をのんでハラハラドキドキする活劇なのだけど、数百人の死傷者を出した実際の戦闘、ということでそんなふうに鑑賞しては不謹慎、となってしまうのでしょう。それでもこの作品、『プライベート・ライアン』とは違って、兵士の「痛み」や「恐怖」を執拗に観客に追体験させようという演出はしていないあたり、わりと素直に楽しんでいい気もします。

 先日、観た『硫黄島からの手紙』も、「圧倒的多数の敵に攻囲されながら大奮戦する」という構図にしてみれば、『ブラックホーク・ダウン』とも似て、智将・栗林中将が活躍する痛快な脱出/救出劇にしたてられそうに思います。しかし、いかんせん『硫黄島』は見捨てられ救出もこない、脱出もできないデッドエンドである点、どうしても凄惨にならざるを得ない。

 『ブラックホーク・ダウン』でも、墜ちたヘリコプターを数百人の昂った群衆に囲まれてしまい、乗員は負傷して身動きも取れず、あとはなぶり殺しにされるだけ、といった状況に追い込まれます。観ていて、「ああ、ここで自決するのかな」とかふと思ってしまったのですが、彼らは自殺を選ぶことはありません。というか、その前に観た『硫黄島』の日本兵がむしろ安易に死を選びすぎなのであって、人命の軽視は日本軍(もしくは日本人)の宿痾なのかなとあらためて思わされました。米軍の司令部も、取り残された兵士を、負傷者や遺体まで含め、なんとか救出しようと最善を尽くす。戦闘員にしても、救出が来る、救出の手だてをなんとか講じてくれている、と信じられるからこそ、生き延びようという気力も続くわけで。

 米国の身勝手でソマリア人を数百人も殺す戦闘をしておいて何をか言わんや、というのは、マクロな視点にすればどうしても出てきてしまうのですが、『ブラックホーク・ダウン』は、戦闘員たち寄りの視野で、戦友どうしの友情・連帯を描いています。比較するには、時代背景も状況も違いすぎるかもしれませんが、自軍の兵を安易に死なせてしまった日本軍よりも、ずっといいように思います。