クリミアの検事総長と富士山と

先日、クリミアの検事総長がイラスト(萌え画)にされたことが BBC でも取り上げられて、それを(日本人の不見識または幼稚性を指摘されたと)恥じている人たちを見かける。このニュースで紹介された似顔絵の大半は、実際には日本人が描いたものではないらしいのだけど、本題とは関係がないのでここでは措く。

それと、ここ一、二年、とくにTV番組でよく目にするようになった「日本(人)はすごい」ってやつ。日本文化や製品が海外でこんなに評価されてます、日本人が海外でこんなに活躍してます、とやたらと賞賛するもの。

この両者は、海外である評価を受けて、「恥ずかしい」と感じたか「誇らしい」と感じたかの方向の違いだけで、根本の部分は似ている。

もうひとつ最近、ごく個人的に気に入らなかったのは富士山の世界遺産登録。富士山は、日本を代表する御山で(といっても日本でもきちんと視認できるのは関東圏なので、勝手に日本人の心中にある山としてしまうのは憚られるけど)、古くから信仰を集めてきた霊峰。世界遺産に登録されようがされまいが、その価値や位置づけは上がりはしないし、下がりもしない。べつに国外から認定しますと言われたのなら喜んで受ければいいでしょうけど、わざわざ認定を欲しがることはなかったと思う。自分たちが大切だと思っているものは、外部の認定があろうとなかろうと大切であることに変わりないはずなのに。

もっともこれが「世界遺産に認定されていると、保全予算が国からおりやすい」みたいな、戦略的な計算と本心があってのことであれば狡猾でいいかなと思う。

クリミア検事総長の萌え画のことも、富士山の遺産登録のことも、結局、国外からの評価に依存してる点では変わりがない。自分が「いい」と思っているものごとなら、いちいち外部の人の理解を得る必要はないし、自分が悪しき因習だと思ったのなら、外部の意見に威を借りずに批判すればいいんじゃないかなと。