トートバッグを買った、使った

 両手が空いて動きやすいので、学生のころから長らく、バッグは斜め掛けできるのばかり使ってたのですけどね。この一、二年、体力が落ちたせいもあってか、重たい荷物を斜め掛けすると胸が圧迫されて苦しいし、片方に掛けてると疲れるので、頻繁に左右掛け替えたり、手に持ち替えてみたりするようになりました。

 そうなってみると、片方の肩に掛けるもののほうが取り回ししやすいんじゃないかと思いまして。

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 もともとは、このツートーンのデザインに惹かれて、前から気になってた革のトートバッグを購入。これ自体が軽い素材ではないんですが、置いても自立して倒れないので、持ち歩いてて疲れたらちょっと床に置いたりもできますし。

 ジッパーで口が閉じないのも、物がすり取られたりしそうだし、雨が入るしで、これまで避けてたんですが、これはこれは出し入れしやすいという利点もあります。

 持ち物が変わると、ちょっとした行動や習慣もそれに応じて変わっていくからおもしろいです。

『戦火の馬』

 観てから間が空いて書くと、どんな作品だったか記憶が薄れてしまってよくないですね。いつごろ観たのかの記録にもならないし。

 で、この映画、「馬視点で描かれるという特異な物語」だ、と耳にしていたのですが、ふつうに人間が主役の作品です。別にそこは善し悪しじゃないですが、動物の主観で、ということなら他にももっと確実に動物視点での映画はあったと思うので、そこは本作の特徴ではないです。それと動物主観と言っても「ぼくはジョーイ。何歳の馬です。飼い主様の名前は…」みたいな擬人化?もありません。

 この作品が「馬の視点で」と紹介されることがあるのは、一頭の馬を軸に、その飼い主・持ち主である人間がどんどん流れて入れ代わってゆくからでしょう。それならそれで、幾多の人手を渡り渡って、育ててくれた少年といつかの再会を願いつつも、結局、果たせず終わる、というのも味があったかもしれません。

 物語は、主役となる馬のジョーイが競売され、少年の家に引き取られるところから始まります。そして数年後、ジョーイがまた競売にかけられ、少し成長した少年がそれを落札しようとする、終始が対称になったきれいな構成です。個人的には、この競売のところで物語を終わりにしても印象的でよかったかなと。

 スピルバーグ監督の戦争映画といえば、血肉が飛び散る『プライベート・ライアン』がありましたが、一方こちら『戦火の馬』は、機関銃で乱射されても血しぶきひとつ出ないので、そこは安心して観られます。流血の描写があるとレーティングにひっかかるからでしょうね。 

"War Horse"(2011年 監督:スティーヴン・スピルバーグ

『グランド・マスター』

 ひとことで言いますと「そんな狭いところで闘わないでください」と。

 狭い屋内で格闘したほうが、投げ飛ばされて椅子が砕けたりいの、窓ガラス突き破ったりいの、と見映えがしそうなのはわからなくもないですが。たとえばどこかの家に忍び込んだときに起きた遭遇戦とかって状況なら必然性はあります。でもここでは、拳法の流派が交流戦をするという、いわゆる武闘会みたいな状況にも関わらず、屋内の廊下だとか階段みたいなところで、やけに狭苦しそうに格闘するのですね。

 二人で会話してるにもかかわらず、南方流派の梁朝偉は広東語を話し、北方の章子怡はずっと北京語で答える。ああ、でもたとえば関西弁の人と話すときに、相手に合わせて関西弁にしたりしないで地の言葉で返すし、そんなものなのか。もっとも広東語と北京語って、方言というよりは別言語くらい違うらしいですけど。

 あと、もう一人いる主演・張震は本筋にはまったく絡んできません。どうして出てきたんでしょう。

"一代宗師"(2013年 監督:ウォン・カーウァイ

『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』

 シリーズ第一部も、個人的にはあまり乗り切れなかった『ロード・オブ・ザ・リング』ですが、本作を見て、その理由があらためてわかった。

 登場人物が一様に暗くて快活さがない。たとえば、フロドは生真面目で悲観的な性格づけなんだ、とかならいいですよ。でも、アラゴルンレゴラスも揃ってなんか陰鬱で大差がない。アラゴルンが断崖から濁流に転落して、あわや死んだか! という場面。『インディ・ジョーンズ』なんかにもこういう状況あった気がしますね。でも、インディなら「ところがどっこい生きてたぜ」とヒーローらしく戻ってくるところですが、アラゴルンは全然、颯爽としてないのです。

 彼に限らず、危機を脱してもいまいち盛り上がらないし、敵を倒しても爽快感がない。これはどうにも演出の失敗でしょう。

"The Lord of the Rings: The Two Towers"(2002年 監督:ピーター・ジャクソン

「鬼月」

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 旧暦7月は「鬼月」と呼び、日本で言うお盆に当たる。

 中元普渡(夏に贈り物をする「お中元」と同じ時期)には、街中至る所で崇拝が行われるのだけど、とにかく火をくべるのが好きである。日本でもお盆には、茄子やキュウリで馬を作って、火を燃やしますが、あんなものではない。

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 ただでさえ建物の密集している台北の路面で火を燃やすので、気づかずに通りかかったりすると危なかったりします。

中国結び講座 その2

 というわけで、中国結びの講座にまた行ってきました。

 第二課は、フクロウか魚の飾りのどっちか好きなほうを選んで、ということでフクロウのほうにしました。糸の色もお好みで選ばせてもらえます。ちなみにフクロウは、中国語で「貓頭鷹」。

 編むのに夢中で、途中経過の写真を一枚も撮らなかった……  で、3時間かけて、概ね編み上がったのがこちら。

 第二課にしては難しい、と言うより、編みの基本的な「型」みたいの(書道でいうなら永字八法的なの)が覚えられる題材のほうがよかったのではないかという気もします。

『フルメタル・ジャケット』

 伝説的な映画だとたびたび耳にしていたので、どんだけ鬼気迫るものかと身構えていたのですが、わりと淡白な作品でした。前半の訓練所のところだけで映画史に残るようなインパクトを持ってしまってるのは納得。シゴキといっても軍隊の訓練としては妥当な感じで、これだったらニッポンの運動部のほうが、理不尽なトレーニングやいじめがあるんじゃないの、と思った次第。

 いい意味で、煩わしいメッセージ性はありません。だって戦争映画、とくにベトナム戦争とかになると、どうしてもそういうのが着いてくるし。

 キューブリックは画面の構図が非常にきれい、という評価を聞いていましたが、そのとおりでした。『バリー・リンドン』の構図がもっとも完成されてるそうなので、そちらも観てみたいところ。

 "Full Metal Jacket"(1987年 監督:スタンリー・キューブリック